極上の湯盌展@しぶや黒田陶苑


明日6日から毎年恒例の企画極上の湯盌展に参加いたします。
どうぞよろしくお願い致します。

極上の湯盌展

開催期間:2019年9月6日(金) ~ 2019年9月10日(火)

《現代作家》
伊藤秀人・内田鋼一・岡晋吾・隠﨑隆一・加藤亮太郎・金重巖・ 金重愫・菊池克・鈴木都・田中佐次郎・高力芳照・辻村塊・直木美佐・新里明士・堀一郎・前田正博・正木春藏・松永圭太・丸田宗彦・見附正康・矢野直人・若尾経 (敬称略・五十音順)

出品作家

他 物故巨匠作家

しぶや黒田陶苑

https://www.kurodatoen.co.jp/exhibition/201909060910-2/


〒150-0002   東京都渋谷区渋谷1-16-14 メトロプラザ1F
TEL:03-3499-3225
営業時間:午前11時~午後7時
定休日:木曜日

双頭の酒器展@しぶや黒田陶苑

告知が大変遅くなりました。
今年も晩夏の恒例企画、双頭の酒器展に参加いたします。

今回は長久手の土を使った長湫唐津と美濃の土を使った美濃唐津での出品です。
ぜひご高覧ください。

出品予定作家(五十音順・敬称略)

〈物故作家〉
加藤土師萌・金重素山・辻清明 他

〈現代作家〉
内田鋼一・隠﨑隆一・梶原靖元・金重巖・金重愫・金重有邦・菊池克・鈴木都・高力芳照・田中佐次郎・浜本洋好・丸田宗彦・矢野直人

開催期間:2019年8月30日(金) ~ 2019年9月3日(火)

しぶや黒田陶苑

〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-16-14 メトロプラザ1F
03-3499-3225
営業時間:11:00~19:00

鈴木都陶展@名古屋・名美アートフェア

告知が遅くなりました。
今週末より三日間開かれる名美アートフェア。
伊藤美術店のブースにて、鈴木都陶展を開催いたします。

陶展といっても作品数は少なめで、ミニ個展という感じですが、
茶盌、酒器を中心に厳選して展観いたします。
初日金曜日在廊予定です。
名古屋近郊の方、どうぞよろしくお願い致します。

会場 名古屋美術倶楽部 2F-19 伊藤美術店ブース

名古屋市中区栄3-12-13
電話 052-241-4356

会期 2019年
 6月28日(金) 午前10時~午後6時
   29日(土) 午前10時~午後6時
   30日(日) 午前10時~午後5時

美濃桃山陶六人展@多治見・うつわ邸

地元東濃、多治見にてグループ展に参加します。

惹句にある”新元号を担う、正統派桃山陶”という形容とは、あまりにかけ離れた存在だと自認しておりますが、自分なりの作品で参戦いたします。ご高覧いただければ幸いです。

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新元号を担う、正統派桃山陶。

慶長(1596 – 1615)を中心に花開いた桃山陶は、江戸時代の新元号元和以降昭和に到るまで、途絶えてしまいます。荒川豊蔵をはじめ昭和の陶工が、残された作品や陶片から復刻された昭和の桃山陶の技術は、平成に受け継がれ、現代的な要素を取り込んだ新しい作品も多く生まれました。
時代は変わり、平成から新しい元号が始まる今、慶長の陶工が残した桃山陶に真正面から挑む瀬戸美濃の精鋭六人が集結します。新元号の桃山陶を、どうぞご高覧ください。

加藤亮太郎/鈴木都/鈴木伸治/寺田鉄平/西岡悠/山口真人(50音順)【展示会概要】

改元桃山元年『美濃桃山陶六人展』

会期:2019年04月27日(土)~2019年06月02日(日)

場所:織部 うつわ邸

〒507-0847  岐阜県多治見市小路町3番2(織部ストリート) 

営業時間:10:00~17:30




キブシ帰る

ひさびさの暖かい寝床で丸くなるキブシ

一昨日の夕方、作ったチラシを支所においてもらい、
郷ノ木と繋がっていそうな、曽木公園の裏手の道を搜索してから、家に戻ると、
奥でキブシの声がする!

今度はまぼろしではなかった。

六日ぶりの再会。よくぞ帰ってきてくれた。
少し痩せて、足は泥だらけ。だいぶ弱ってはいたが、
食欲もあり、餌をあげるとすぐに平らげた。
何しろ一週間近く飲まず食わずだったのだ。
水もモグの分まで飲み干した。

その後、すぐに瑞浪の動物病院へ駆け込み、診てもらった。
尻尾を何かに噛まれたようで大きく傷を負っていた。
どこかのオス猫と決闘したのか、はたまた野生動物に襲われたのか。。
しばらく服薬と静養が必要とのこと。注意深く様子を見ないとならないようだ。
エリザベスカラーをつけてもらい、薬をもらって帰る。

傷は痛々しいが、ひとまずは生きていてくれて本当に良かった。

完全室内飼いが猫飼いの常識とされるこの時代、
外出自由という選択は、飼い主のエゴイズムとの誹りを免れない。
しかし、一生、狭い室内に閉じ込めることが、果たして猫の幸せと言えるだろうか?

そう思って、我が家ではずっと猫の自由に任せてきた。

だが、こうして飼い猫が大きな怪我を負って帰ってくると、その責任を感じて、気持ちも少し揺らいでしまう。

彼らにとって幸福とは何か?
とても難しい問題だ。



霰降る

昨夜は三時に寝たが五時に目がさめた。髪の毛の様なかすかな声でノラがニャアと云った様に思はれた。空耳かと思ひながら耳を澄ましてゐると、もう一声同じ声で鳴いた様な気がしたので起き出して、勝手口を開けて見た。もう夜が明けた所で、そこいらに灰色の陰はあるけれど、どこ迄も見えるがノラはゐない。それから寝られず。

内田百閒 『ノラや』

       

霰降る荒天、キブシは今日も帰らない。
どこでどうしているのやら。
時折どこかでかすかに鳴いた様な気がするのは、
まさにノラを待ちわびる内田百閒先生の心持ちである。

ひさびさに『ノラや』を読み返してみて驚いた。
百閒の日記によればノラが失踪したのは、
3月27日の水曜日。
キブシが消えたその日と、曜日までもが奇妙に一致していた。

春先は行方不明の猫が増えるという。

どうか無事でいてくれることを祈る。

昨日は雨の中、郷ノ木から蘭仙まで、チラシを配って廻った。
誰かが、見かけてくれるといいけれど。





キブシが消えた

一昨日の夜からずっと、茶トラのキブシが帰ってこない。
いったい、どこへ行ってしまったのだろう。
今日も裏山に入ったりして随分と探したのだが、全く気配がない。

モグサに比べて臆病で、人見知り。
いつも敷地内や屋根の上をウロウロする程度で、
家から離れることが無かった猫なので、
何かの拍子に遠くで道に迷ってしまったら、
自力で戻ってこれないかもしれない。

むかし、実家で飼っていた猫は、姿をくらましたまま戻らなかった。

心配だ。。


地獄のレンガ運び-完結編-

なんども降ろしたり吊り上げたりしていたレンガは、振動の影響で、
梱包のフィルムが伸び、荷崩れの危険が増していた。
念の為新たにストレッチフィルムをしっかり巻き直してから、
吊り上げの動作に移る。

トラックの下でリモコン操作は西岡さん。
荷台には松浦くんとわたしの二人で乗る。

アームが上へと伸びてパレットが勢いよく頭上に吊り上がった。

と、その瞬間、少しパレットが揺らぐ。
ほんの少しに思えたその揺れは、みるみるうちにに大きくなり、
振り子のごとく左右に暴走し始めたのだ。

ヤバい!!!!

振り子と化したパレットに合わせ、
ぐわんぐわんと車体が揺れ始めた!
(なんと、支えとなるはずの左右のブームを出すのを忘れていたのだ。。)

とにかく、荷台から降りて、後方に避難し、意味もなく車体を抑えて支えてみる(全く無意味だったのだが。。)。自分でも一体何をしているのかわからないくらいに混乱していた。

ほんとうにこれで終わったな、と思った(本日三回目)。

レンガパレット2tの振り子は、横転一歩手前まで車体を揺らしたが、
運が良かったのか、またまた間一髪のところで、
揺れは、どうにかこうにかおさまった。

助かった。。

この揺れの瞬間が、今回の数ある恐怖の中でも最も肝を冷やした場面だった。
もしも、そのまま振り子につられて横転していたら。
もしも、あの時フィルムを巻き直さず、パレットが頭上で荷崩れを起こしていたら。
いろいろと思い返すだけでも、冷や汗が出てきてしまう。
(こんな状況下でも振り子の揺れをどうにか抑えようと、リモコンで荷の振り方向と逆方向に力を加える操作を加えていたという、西岡さんの冷静さには驚いたが。。)

その後なんとか山岡まで1パレットを運びきり、
作業を終えた時には、もうすっかり夜も更けていた。
家に帰り着いても、神経の高ぶりがなかなかおさまらなかった。

当然、当日中にトラック返却はできず、翌日に持ち越しに。
明朝、残りの2パレットを山岡まで運び、
危険に満ちた地獄のレンガ運びはようやく終わりを告げた。

一歩間違えば本当に命を失いかねない危険さだった。
そもそも、我が家のような傾斜地で、地盤も悪く
十分なスペースが確保できないところで、
ユニック作業はするべきではなかったのかもしれない。

ちょっとお手伝いを頼むつもりが、
こんな危険な目に遭わせてしまった上、遅くまで付き合ってくれた
松浦くんには本当に申し訳なく、ただただ感謝するばかりである。

いろいろな反省とともに、
この地で窯を作ることの困難さを改めて実感したのだった。

さて、運搬はこれで終わりでは無い。このレンガを全て、
手運びで軽トラに積んで、上の段々畑まで運ばねばならない。
一体、何往復しないとならないのか。
これから少しづつやっていくしかない。

-完-










地獄のレンガ運び③

程無くしてOさんが、ユニック車で駆けつけてくれた。

あたりは既に真っ暗で、ヘッドライトで照らしながらの作業となる。
この危険な状況をもろともせず、
すぐにユニックでトラック後部を吊り上げると同時に、
脱輪したトラックの運転操作にも的確な指示を出してくれ、
あっという間に脱出に成功。
まさにプロの技と言える手際の良さだった。
その上、本来、山岡に降ろさねばならない、
畑に仮置きしたパレットを、
再びトラックに積み込むところまでやっていただいた。

万策尽きて途方に暮れていた我々にとって、
まさに救世主の登場だった。
トラックのヘッドライトに照らされて、颯爽と作業するOさんは、
さながら後光が差しているかのように思えた。

ありがたや。

実を言うと昨年も、薪を満載にした軽トラが、
溝にはまってしまい立ち往生したことがあった。
その時に助けていただいたのもOさんだった。
本当に感謝してもしきれないほど。
お世話になりっぱなしである。
(窯の整地作業もお願いします。。)

さて、Oさんがお帰りになった後、
三人で作業を続行する。

運転時、カーブでの遠心力を減らすために、
荷台後部ギリギリに積んでもらったパレットを、
前方へずらして積み直す必要があった。
ユニックの転回も少しで済む、
それほど難しい作業では無いように思えた。

脱出の成功で、安堵の雰囲気が漂う中、
その時点では、誰も予想できなかった。

三たび、あのような悪夢が訪れようとは。

-つづく-