地獄のレンガ運び-完結編-

なんども降ろしたり吊り上げたりしていたレンガは、振動の影響で、
梱包のフィルムが伸び、荷崩れの危険が増していた。
念の為新たにストレッチフィルムをしっかり巻き直してから、
吊り上げの動作に移る。

トラックの下でリモコン操作は西岡さん。
荷台には松浦くんとわたしの二人で乗る。

アームが上へと伸びてパレットが勢いよく頭上に吊り上がった。

と、その瞬間、少しパレットが揺らぐ。
ほんの少しに思えたその揺れは、みるみるうちにに大きくなり、
振り子のごとく左右に暴走し始めたのだ。

ヤバい!!!!

振り子と化したパレットに合わせ、
ぐわんぐわんと車体が揺れ始めた!
(なんと、支えとなるはずの左右のブームを出すのを忘れていたのだ。。)

とにかく、荷台から降りて、後方に避難し、意味もなく車体を抑えて支えてみる(全く無意味だったのだが。。)。自分でも一体何をしているのかわからないくらいに混乱していた。

ほんとうにこれで終わったな、と思った(本日三回目)。

レンガパレット2tの振り子は、横転一歩手前まで車体を揺らしたが、
運が良かったのか、またまた間一髪のところで、
揺れは、どうにかこうにかおさまった。

助かった。。

この揺れの瞬間が、今回の数ある恐怖の中でも最も肝を冷やした場面だった。
もしも、そのまま振り子につられて横転していたら。
もしも、あの時フィルムを巻き直さず、パレットが頭上で荷崩れを起こしていたら。
いろいろと思い返すだけでも、冷や汗が出てきてしまう。
(こんな状況下でも振り子の揺れをどうにか抑えようと、リモコンで荷の振り方向と逆方向に力を加える操作を加えていたという、西岡さんの冷静さには驚いたが。。)

その後なんとか山岡まで1パレットを運びきり、
作業を終えた時には、もうすっかり夜も更けていた。
家に帰り着いても、神経の高ぶりがなかなかおさまらなかった。

当然、当日中にトラック返却はできず、翌日に持ち越しに。
明朝、残りの2パレットを山岡まで運び、
危険に満ちた地獄のレンガ運びはようやく終わりを告げた。

一歩間違えば本当に命を失いかねない危険さだった。
そもそも、我が家のような傾斜地で、地盤も悪く
十分なスペースが確保できないところで、
ユニック作業はするべきではなかったのかもしれない。

ちょっとお手伝いを頼むつもりが、
こんな危険な目に遭わせてしまった上、遅くまで付き合ってくれた
松浦くんには本当に申し訳なく、ただただ感謝するばかりである。

いろいろな反省とともに、
この地で窯を作ることの困難さを改めて実感したのだった。

さて、運搬はこれで終わりでは無い。このレンガを全て、
手運びで軽トラに積んで、上の段々畑まで運ばねばならない。
一体、何往復しないとならないのか。
これから少しづつやっていくしかない。

-完-










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