「お父さんのやきものギャラリー」
さんに拙作志野茶盌を掲載頂いています。
土と石の講義

先日のこと、朝から友人N氏と一緒に、美濃瀬戸に於ける原料の博士とも言うべき人物、Sさんの家に伺う。
中国陶磁からの流れを汲み、瀬戸美濃のやきものの技法がどのように、発展・収斂していったか。
二時間以上、歴史、地学、化学と、様々の観点から濃密な講義をしてただいた。
物静かだが、鋭い調子で語られる氏の言葉は、数十年に渡り美濃瀬戸の原料を堀り、焼き続けてきた、膨大な知識と経験の蓄積を感じさせた。
数多くの作家が、氏の下を訪ね、学んでいったと聞く。
亡くなった太田さんもまた、その理論に大きな影響を受け、実践した人だった。
無学なわたしにはまだまだ難解な部分も多かったが、大変勉強させて頂いた。
連れていってくれたN氏にも感謝。
「作家としてやっていきたいなら、”目線”を高く持て」とS氏は言った。
作家業の現実は厳しい。
途方もなく。
特にわたしやN氏のように、何の地盤も持たないストレンジャーの場合は尚更だ。
しかし、そこにどのような苦難があったとしても、
Sさんが言ったように、せめて”目線”だけは高く持っていきたいと思った。
”目線”を高く持て。
それはまそのまま、
土と石に拘り続けろ、
と、言われているような気がしたのだ。
展示会
松坂屋名古屋店アートプレースで開催中の”恒梁会作品展”、
本日少しの時間ですが、顔を出してきました。
この週末も作品をいくつかお買い上げ頂いたと伺いました。ありがとうございます。
29日火曜日まで開催しています。皆様どうぞよろしくお願いします。
さて今日は四日市・ギャラリー雲母さんで開かれている展示会にも行ってきました。

“壺展”
先日初めてお会いした訓練校の先輩、瀬戸で作陶されている橘岳さんが参加されている企画展です。
ご本人から素敵なDMを頂き、どうしても観に行きたかった展示会。
中世古陶磁の雰囲気をたたえた灰釉の瓶子群。
いま、これほどの古瀬戸を作れる人をわたしは他に知らない。
生けられた花も含めて、素晴らしかったです。
美濃の古陶
“恒梁会作品展”、23日より始まっています。ご来場頂いた皆様ありがとうございます。
各作家力作ぞろいとのこと。ご好評頂いているようで何よりです。
さて今日はわたしのおすすめの一冊をご紹介。
『美濃の古陶』楢崎彰一監修、光琳社刊。
質、量ともに、素晴らしい充実度で、まさに美濃の古陶磁研究におけるバイブルといっても過言ではない本です。
特に巻末に付された地図と表には、窯跡ごとの遺物品目、時代など、非常に詳しく記載があり、
地形図に窯跡の位置を記した優れもの。古窯跡を訪ねる際に便利です
(現場は跡形も無くなっているものも多く、簡単には辿りつかないけれど)。
16年前の夏、当時13歳だったわたしは、図書館から借りたこの本のコピーを片手に、独り古窯跡を訪ねた。
そんな、思い出深い一冊です。
”黒瀬戸”という名の挽歌
”恒梁会作品展”へ向け最後の窯は、久々に自宅0.1㎥。
今回は引出黒でひと窯。
最高温度まで達した窯のふたを開け、灼熱の炎の中から鉄の鋏で一個づつ引出す。
橙色に輝いていた茶盌は、ジューッという音とともに湯気をあげ、一瞬にして漆黒の肌へと変貌を遂げる。
何度やっても緊張し、血が騒ぐ瞬間だ。
今回、瀬戸のYさんから”恒梁会作品展”の話を頂いた時から、わたしの頭の中でひとつのイメージが浮かんでいた。
阿古陀形の梅樹文ぐい呑。
太田さんが好んで作っていた黄瀬戸の形だ。
わたしはこの形を”写す”ことを決めた。
あるいはそれは、他人から見れば只の模倣と云われるかもしれない。
だが、たとえば音楽家が同志の死を悼むとき、故人の楽曲をカバーするように、
やきもの屋にも同じような追悼のかたちがあってもいいのではないか。
そして窯から引き出した作品の中に、そのイメージにぴたりと合ったものが一つだけ生まれた。
”黒瀬戸ぐい呑”。
これは、亡くなった太田さんヘ向けた、わたしなりの挽歌のつもりです。


















