近況

またまた更新できずでした。
GWは近所の昌さんの穴窯の窯焚きに参加。
th_IMG_1927 (1)窯に入れさせてもらった志野の結果は緋色が殆ど出ず、少し残念なものだったが、
焼きあがった釉薬の調子を見るだけでも、普段焼いているガスの窯と薪の窯でどのような変化があるのか、いろいろと考えさせられる焼き上がりだった。
同時に自分の薪窯を作りたいという思いはどんどん強くなってきた。
まずは敷地内の斜面にある段々畑にレンガを運び込むための車の入れる道を作らなければ始まらない。

ユンボをレンタルして自分で作業するか?いや、レンタルするにしてもトラックをさらにレンタルしての回送費用もバカにならないよなぁ。。いっそお金を貯めて、安い中古でも買おうか。。いや予算オーバーな上にいつ壊れるかもわからないのはさすがに怖い。などと、いつまでも頭の中で堂々巡りを繰り返していた。
そんな中、Hさんに、地元の土建屋さんを紹介して頂いた。
現場を見ていただき、こちらの少ない予算の範囲内で工事可能とのこと。
いよいよ現実味を帯びてきた。

昨日は橘さんが家に寄ってくれたので、窯の話やら土の話など。

そしてそのまま流れで、雨の中、お山へ土堀りへ。
th_IMG_1928
酷いぬかるみ。ペパーミントグリーン的な粘土。
こういう美しい色の粘土層を削るときの喜びは何にも代えがたい。

今日は窯場の整理。
かなりテキトーな突貫作業で棚を二つ作った。
しかし、物の置き場がなくなっていた今までと比べれば、
収納が増えただけで見違えるほど片づいて、作業効率も上がりそうです。

スッキリして、また今週末から志野の窯です。

芸濃町へ

話は前後するが、
先日、水族館劇場の公演地、三重県津市の芸濃町まで行ってきた。

ニッカポッカ、ヘルメットに安全靴、安全帯という格好で
テント劇場建て込みのお手伝い。
5年以上ぶりの設営作業では、色々と忘れていた。
5mパイプってこんなに重かったっけか。。
足場の上では足がすくむは…、
ラチェットの回し方、番線の締め方もぎこちなく、ちゃんとお手伝いになったものかどうか…。

久々の現場でとにかく体中が痛くなった。
薪割りで使う筋肉とはまた違うようだ。

公演は5月から。また観に行きます。

https://www.facebook.com/水族館劇場-174212132632610/

ところでこの芸濃町には
かつて昭和の30年代頃に苗木鉱山、という長石鉱山があったという。
手もとの資料によれば、なぜか多治見の人が山主で、窯業原料用に掘っていたようだ。
地元の方にも色々と聞いてみたのだが、結局知る人はいなかった。
今は鉱物マニアの間で石榴石が産出する幻の鉱山として知られているようだが、
場所に関する詳しい情報は無い。
次に行った時に時間があれば、少し探してみたいと思った。

 

 

th_IMG_1710

暖かくなって

先日の岐阜、文錦堂に於ける個展では、ほんとうに多くのお客様にお越しいただき、
無事会期を了えることが出来ました。
改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

個展が終わって、気付いたらすっかり暖かくなっていた。
先日の朝、ふと思い立って久々に山歩きに出かけた。
市内の花崗岩主体の山へ。
山中ではメマトイが飛び始め、水場ではカエルの声がやかましい。
古い資料には山のてっぺんに白瓷系の窯跡があったと記載があるが、
一時間近く斜面を登ったり降りたりして彷徨った挙句、
何も見つけることはできなかった。
IMG_1919山のてっぺん近くの池。
藪に埋もれ道らしい道など無いので、ほとんど人が訪れることはないだろうが、
何故か錦鯉が悠々と泳いでいた。
IMG_1923沢の水面に謎の黄色いキノコ?
IMG_1924結局、ポイントを変更して土岐砂礫層の露出した地域へ移動。
ようやく薄茶色の鉄分を含んだ、粘土層を発見。
少し肌理細かすぎるような気がするがどうだろう。。

今日は昌さんの窯詰めへ。恒例の5月の薪窯にまた少し作品を入れさせてもらう。
今回は志野と藁灰釉、竹灰釉です。

 



個展はじまりました

th_IMG_1916先週の土曜日より、岐阜市、画廊 文錦堂さんにて個展がはじまりました。
初日、二日目と在廊して参りました。
朝早くから遠方からの方をはじめ、大変多くの方にお越しいただき、ありがたい限りです。
最終日の17日日曜日、午後からになりますが、再び在廊予定です。
皆様どうぞよろしくお願い致します。

作品の手入れ

th_IMG_1677いよいよ個展前準備大詰め。今日は志野の窯を焚きながら、作品の手入れをする。
ペーパーをかけた後、一度水洗いして、天日で乾燥。

こちら郷ノ木でも随分あたたかくなってきました。
庭のハナニラも満開です。
th_IMG_1692ユキヤナギも元気。
th_IMG_1702

岐阜市・画廊 文錦堂にて個展開催

th_dmbunkこの度、岐阜市の画廊 文錦堂さんにて初めての個展をさせて頂きます。
今回は文錦堂さんから志野というテーマを頂き、焦点を絞って深化させてきました。
ご高覧頂ければ幸いです。

4/9、10両日在廊します。皆様どうぞよろしくお願い致します。

会期:2016年4月9日(土)〜17日(日)
会場:画廊 文錦堂
9:00~17:00
〒500-8113 岐阜市金園町3-26
TEL (058)263-7751
http://bunkindo.com/

 

生焼けの陶片

先日の鼠志野の窯はまずまずうまくいきました。
今日からまた志野の窯です。
昨日からの施釉作業。
貧乏性なのか、なぜか窯詰め直前になると
新たに思いついたテストピースをあれこれ入れたくなってしまう。
この悪癖は治りそうも無い。
今日朝一で試験用の皿をロクロびきしてストーブで強制乾燥。
どうにかお昼過ぎに点火できました。

今日は久々に陶片の紹介。
th_IMG_1652th_IMG_1662th_IMG_1664th_IMG_1667
某N窯で拾った生焼けの残欠。
ふたつがぴたっと合いました。

一見すると素焼きのような肌ですが
よくよく断面を見るとうっすら釉が掛かっている模様。

腰から垂直に切り立ったフォルム
玉縁や碁笥底。薄造りの洗練された造形。

いわゆる黄瀬戸の銅鑼鉢ではないかと思うのですが
いかがでしょう?

思案中

th_IMG_1615窯焚きをしながらここのところの志野の皿試験の結果を
並べて思案中。

緋色の出、梅華皮、ピンホール、透明度、白色度、貫入の細かさ、溶けの柔らかさ、鉄絵の発色…。
そのほとんどが素地からの影響を受けて著しく変化する。
釉の吟味以上に土の選定がとくに重要です。
よい釉調が出たと思っても作品にしてみると全然駄目だったり。
なかなかうまくいきません。

長石と胎土、単純ながら無限の組み合わせです。

製作中

大分更新できずでした。(頂いたコメントにも返信できていなくてすみません。。)
さてこちらも少しづつ暖かくなってきました。
四月の個展へ向け追い込み製作中です。

昨日は施釉〜窯詰め〜点火。
今日も窯焚き中です。
今回は鼠志野などの食器がメイン。
th_IMG_1565

先日、橘さんに紹介してもらい、解体レンガを1000丁手に入れた。
SK34,36のしっかりしたものだ。軽トラで五往復。運ぶのも一苦労でした。

近い将来の、薪窯築窯のために少しづつ集めていこうと思う。
まずはひっついたモルタルを掃除しないと。。
th_IMG_1567

次回の窯のために、掘ってきた赤土を水簸。
先日熊谷陶料のHさんから新たな赤土もいくつか頂いたので、そちらも並行して試験してみたい。
th_IMG_1568

昔話

th_IMG_1552今日はすこしだけわたしの昔話を書きたいと思う。

少年時代、やきもの、というものに取り憑かれてから、
週末にギャラリーやデパートへ出かけて行き、
(そういえば、その90年代当時は、今のようにクラフトフェアなどは一般化していなかったように思う…)
いろいろな展覧会を観るのがなによりの楽しみだった。

『唐九郎のやきもの教室』を読んで感化された”茶陶少年”だったわたしが、
通いつめたギャラリーがある。
渋谷の駅から少し歩いたビルの地下にその店はあった。
小学生の子供がひとりで入るには、あまりにも敷居の高いお店だったが、
お店の人は嫌な顔ひとつせず、むしろ変わった子供を面白がって、
作品を見せくれ、直接触らせてくれた。
わたしは毎週のように通った。岡部嶺男、八木一夫、各務周海、堀一郎、中川自然坊…
そこで出会った作品群から、わたしはいったいどれだけの影響を受けてきたのだろう。
中学校をズル休みして初日に観に行った、故周海氏の個展は今でも深く記憶に焼きついている。

それらの作品を買えるはずもない子供だったにも関わらず、
お店の方には、ほんとうに可愛がって頂いた。
今から考えれば冷や汗ものだが、自作を持って行って見て頂いたりもした。
いつか自分もこのお店に並ぶような作品を作りたい。
子供心に抱いた、夢だった。

しかし、時は流れ、高校生になったわたしの興味の対象は、

急速にやきものとは別のものへと移ってしまった。
その店へ訪ねる事も最早、無くなってしまっていた。

あれから15年近くが経ち、20代も半ばを過ぎて、わたしは再びやきものをはじめた。
大人になって考えれば、子供の頃、怖いもの知らずで通っていたあのお店が、雲の上のような存在に思えた。
それでもお世話になったあの時の恩義は、わたしの脳裏から離れないでいた。
いつか作品を見て頂き、あのお店に並べて頂ける事ができたなら。
そう心の中で思い続けて来た。

そして、今年、
ご縁を頂き、そのお店で作品を扱って頂く事になった。
予想だにしない急展開だったが、あの日の夢はたしかに現実になったのだった。

東京を出て、もう一度やきものを志し、六年の歳月が経っていた。